D講演で会場から出た声

前のエントリーで紹介したDiekema講演の模様を伝える記事から、
当日会場から出た障害当事者の発言と重症児の母親の言葉を。

Engle という車椅子の男性は
Ashleyの親と医師らのしたことは一線を越えているとし、

Ashleyは現在10歳だが、いずれ女性に成長し、
おそらく両親の方が先に亡くなるだろう。
それでも親が自分に代わって決定したことのツケを
払い続けなければならないのはAshley本人だ

この決定はAshley本人のものではない。


また同じく車椅子のJaoseph Stramondoは、
生命倫理と哲学の博士号取得を目指して勉強中)

重症児の場合は親が主に意思決定をするべきだろうが、
コトが医療上の必要のない処置となれば話が複雑になってくる。

医師らがやったことはAshleyの病気を治すわけではない。


障害者の人権アドボケイトのNella Uitvlugtは、

車にバンパーを取り付ける仕事をする人の自給は30ドルなのに、
グループホームで働く人の自給は8ドル。
問題を抱えているのは我々の社会の方。

(これ、今日本で問題になっている介護職の処遇の問題と重なりますね。)

これに対して、
前のエントリーでも登場していた23歳の重症障害者Rachelの母親は

認知レベルがこんなに低かったら親がやるしかない。
親が決めているのは、
なんでもかんでも親が決めることになるからです。


25歳の重複障害者Mikoyaの母親は

子どもは一人ひとり違うから意思決定は個々に行われるべきです。
気管切開も経管栄養も、決断する時は大変な思いをしました。
それでも決断は私がするしかありませんでした。



ただし、冒頭のEngle以外は、全てが会場の討議の場で出た声ではなく、
この記事の取材である可能性もあります。